Mamoru Kikuchi: Culture, Art, and Hanamaki The family of the photographer Shunkichi Kikuchi and the artist Teishi Terashima

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【岩手・花巻】写真家 菊池俊吉が捉えた昭和展(会期終了)
画面上、広島原子爆弾被災地記録 皆実町1丁目
「ガスタンクに残る熱線で焼きついた影」
1925(昭和20)年 9月 撮影:菊池俊吉
〈ハンドルが熱線を渡り、黒い影となって焼きついた〉

【岩手・花巻】写真家 菊池俊吉が捉えた昭和展(会期終了)

会期:2011年9月23日~2012年1月29日/会場:萬鉄五郎記念美術館

菊池俊吉(きくちしゅんきち)は、日本を代表する昭和期の写真家の一人です。1916(大正5)年、彼は岩手県花巻市御田屋町で生まれました。オリエンタル写真学校を卒業後、東京光芸社を経て東方社入社、報道写真家としてスタートを切ります。 戦時下にあっては、『FRONT』写真部の一員となり、本土や外地部隊の撮影や産業記録など幅広く活躍しました。なかでも、終戦直後に文部省の原子爆弾災害調査団の一員として広島を撮影した記録写真は、悲惨な原爆の傷跡を克明に伝えてくれます。 また、彼が戦中戦後を通して銀座という街のありようを記録したそれらは、昭和という激動の時代に息づく街の様子を透徹した視線で捉えています。 さらに戦後は、農村や漁村の暮らしを題材としたシリーズ、または、科学分野の撮影など幅広く活躍しました。昭和という時代を通して、彼は日本における記録写真の分野を確立したカメラマンの一人といえます。これまで検証する機会が少なかった菊池俊吉のファインダーが捉えた昭和という時代を、彼の作品を通して見つめ直したいと思います。❞(企画展フライヤーより引用)

左上から、東京大空襲(1945 深川・浅草方面)、夕食(1953 秋田県十文字町)、中国軍管区兵器部倉庫(1945 広島市)、戦捷第一次祝賀国民大会 (1942 日比谷)被爆した産業奨励館ドーム(1945 広島市)、治療を受ける原爆被災者 (1945 広島市)、原爆で被災した広島市内 (1945 広島市)

◇◇◇

平成23年(2011)9月26日(月曜日)岩手日日新聞掲載

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