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1945年(昭和20年)10月11日 菊地俊吉撮影
【広島】「原爆と医療」-救護活動から 医学調査へ-(会期終了)
広島平和記念資料館2021年度 第2回企画展
会期:2022年3月25日~9月12日/会場:広島平和記念資料館 東館1階企画展示室
❝戦時下、医師をはじめとする医療関係者は、各種法令により戦争への協力を余儀なくされていました。医師たちは防空法に基づき空襲の際には救護活動に従事することとされ、アメリカ軍による日本本土空襲が本格化すると、警報発令の際には救護所で待機していました。
しかし、原爆投下により広島市内が壊滅的な被害を受けると、市内にいた医師の91%が罹災したと言われ、当初計画していた救護活動は困難となりました。それでも、生き残った医師たちは自らも傷を負いながら被災者の治療にあたりました。また、宇品にあった陸軍船舶司令部の所属部隊(通称「暁部隊」)や各地から駆けつけた救護班が救護活動を行ったほか、広島市の周辺地域でも病院や学校などで被災者を受け入れました。
投下から日が経つにつれ、治療にあたった医師たちは、嘔吐・発熱・下痢など放射線による症状に直面していきます。始めは投下された爆弾が原爆であることさえわからなかったものの、直後に行われた調査の結果から治療法が検討されていきました。
一方、アメリカでも原爆の人体への影響の調査を企図します。アメリカと日本の「合同」の形式をとった調査団が編成され、10月から11月にかけて広島で調査が行われ、翌年には報告書がまとめられました。
今回の企画展では、資料館の所蔵資料、当時撮影された写真、医師による記録などから、原爆と医療に関わる事項をたどります。設備も医薬品も十分ではない困難な状況で、被災者の治療と症状の解明に向き合った医師たちの苦闘に触れていただければと思います。❞(企画展フライヤーより引用)

(写真中央左)「 広島県立医学専門学校教授、玉川忠太医師による被爆者の体解剖」
1945年(昭和20年)10月11日菊池俊吉撮影
1 展示内容
(1)戦時下の医療体制―医療関係者の戦争動員―
(2)原爆投下―混乱のなかの救護活動―
(3)徐々に明らかとなる放射線による症状
(4)被爆調査団の活動
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