Mamoru Kikuchi: Culture, Art, and Hanamaki The family of the photographer Shunkichi Kikuchi and the artist Teishi Terashima

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『東京復興写真集1945〜46』文化社がみた焼け跡からの再起 勉誠出版

東京大空襲・戦災資料センター監修  2016年6月刊行

❝本書は、東京大空製・戦災資料センター所蔵「青山光衛氏旧蔵東方社・文化社関係写真コレクション」と東方社・文化社に所属されたカメラマン及びご遺族が個々に保管されてきた写真の中から、敗戦直後の暮らしと復興の様子を撮影した写真を収録した写真集です。

 東方社は、戦争中、陸軍参謀本部の下で、主に対外向けの写真宜伝物を制作していました。戦後は、文化社として再出発します。文化社の活動期間は、わずか2年ほどですが、その間にさまざまな写真を撮影していました。その中には、社会運動や労働運動に参加する人々や占領軍の兵士たちの写真もありますが、本写真集には、焼跡の街に並ぶ露店や屋台、街を行き交う人々、焼跡で遊ぶ子どもたちや厚生施設での暮らし、スポーツや復興祭に興じる人々など、敗戦間もない東京の日常をとらえた写真840点を掲載しました。これらの写真は、敗戦後の厳しい生活と混沌とした社会の記録でもありますが、戦争の重圧から解き放たれ、占領下ながらも新時代を謳歌する人々の明るさと復興へ向けた街の賑わいを活写しています。写真は東京で撮影されたものですが、これらの光景は、全国で見られたものであり、“ニ度と戦争はしない”と決した戦後日本の原風景といえるでしょう。

 これまでに知られている占領期の日本を撮影した写真の多くは、占領が撮影したもので、日本人が撮影した写真をこれだけ集めたものは類例がありません。また、その多くが初公開のものです。 新たな安全保障体制の構築が進められる中、日本は今、岐路に立っています。敗戦から立ち上がる東京の街と人々の姿を伝える本写真集が、日本の進むべき道について考えていただくための史料となれば幸いです。❞(東京復興写真集, 刊行のことばより引用)

文化社は、戦時下、グラフ雑誌の白眉といわれた。対外向け大型グラフ雑誌「FRONT」を制作していた東方社の後継団体で、1945 年秋に活動を開始した。写真家木村伊兵衛グラフィックデザイナー原弘評論家中島健蔵の主導の下、写真部員は東京をはじめ敗戦直後の日本の姿を撮影し、大量の写真を残している。写真集「東京一九四五年・秋』やグラフ雑誌「マッセズ」などを出版するが、1947年末に解散した。

菊池俊吉撮影

《上野の露店の焼き魚》1946年3月頃、《西武農業鉄道池袋駅のホームで電車に乗り込むのを待つリュックサックや包みを背負った人たち》1945年11月、《神保町の露店の本屋》1946年4月、《渋谷駅前の焼け跡に建つ食堂「満腹」》1946年3月頃、《浅草東本願寺戦災者更正会の人と、火にあたっている男性収容者たち》1946年1月など掲載

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寺島貞志(ていし)は、太田英茂のデザイン事務所で、写真家木村伊兵衛、グラフィックデザイナー原弘らと広告美術の仕事に携わった。日本橋・丸善画廊で個展開催の際は、太田英茂より手紙、木村伊兵衛、評論家中島健蔵より推薦文をいただく。

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